陽気で孤独な熱帯夜

終わんないで、青春

丸山隆平さんの「ヒカリ」に狂わされている

 丸山隆平さんの「ヒカリ」をご存じでしょうか。

 2021年11月17日(水)、関ジャニ∞最新アルバム8BEAT 完全生産限定盤Disc2の3曲目、この曲と出会ってから、ヒカリに狂わされ続けている。もう一年も前なのかと今書きながら驚いているけど、この曲のことを考えなかった日はないし、平均で一日当たり5回は聞いている
 普通にさぁもう居ても立っても居られなくない? 発売から一年以上経ってはいるわけだけども、形にもならない、明確に結論もでない、ただ想起したことを言葉に起こしてなぞるだけだけど、もうどうしようもなく、好きで怖くて、堪らなくないんだよな 関ジャニ∞に思う感情に似ている ヒカリを聞いたまま内側がぐしゃぐしゃになる
 もう毎日毎日ヒカリで“かかって”いて、いい加減おセンチ野郎が過ぎる ので、ぐしゃぐしゃをぐしゃぐしゃのまま、思いのまま書き留めてみて日常への支障を減らしてえな! という趣旨の文

 

!!ゴリキモ 独自解釈!!

 オタクのキモ語り好きな方にはうってつけの内容です 煮詰まり気味なので全て「気がする」「知らんけど」を語尾につける気持ちで書いているので気を付けてください

 

 

■「ヒカリ」の死生観

 重! ヤバ! ヒカリは別に死を明確にうたっているわけではないと思うんですが、まず大前提として、一曲を通して不動のひとり、または自身と他者——ただし既に動かぬ個——っていう印象なんですよね。生きている他者の気配をあまり感じないんだよな 圧倒的な自分という個と、既に生の気配をなくした何かとの問答のような、諦めと希望を同時に感じます。性格の暗い面倒なオタクなので、こういう、曖昧な曲に勝手に思いを馳せるのだ~いすき ただ教養がないので本当に無益

 

■「みじかい夢に溺れていたわ」

みじかい夢に溺れていたわ
赤くて白い瞼の裏側
いばらの蔦に 絡まった私たちは
帰り道を 見失っていた

「みじかい夢に溺れていたわ」

 まずこの出だしが好きで…………。

 このペースでやると馬鹿長くなるのは分かってるけど、この出だしだけは本当に好きでサァ。「みじかい」が平仮名になっているところが、あどけなさを残す柔らかい言葉の響きが、夢に溺れる残酷さを引き立たせているように思います 逢魔が時、空の色が良い感じの時、周りに誰も居ないのを確認し「みじかい夢に溺れていたわ」と口に乗せては悦に浸ります。キショ…………。でも本当に声に出したい歌詞じゃないですか? 丸山さんの重さのあるやわらかな色調の声、それをなぞるだけで美しいなと思う
 あなたの「ヒカリ」は、夜ですか? 昼ですか?私は、もうそれは本当いつでもなんですよ
 影があるところ、光があるところ、澄んでいれば、光や影がまっすぐと差すところであればそれはもう「ヒカリ」です ずっと何の話をしているんでしょう

 

■「緞帳」

幾重にも言葉を積み上げては壊してく
血の音で描いた点と線の宇宙
緞帳の向こうで激しく燃えあがる もっと気持ち良くして
もっと気持ち良くしてよ

別れは稲妻だ 涙は光だ
悲しみの声を置き去りにして 呼吸を真空に奪っていくよ
心臓がとまる その瞬間を唄うのさ

 緞帳の手前は他者に見せる自分で それが降りたあと、その向こう側での話なのかなあ、などと
 ただここでなぜか想起したのが江戸時代の遊郭、衝立の向こうで体をしならせれる遊女のことだったから不思議だった。全体を通して寂しさ、諦めと希望を感じる中で、ここの部分はそれに加えて刹那的なものを感じる
 「気持ちよくしてよ」、冷えと熱の交じり合った、そこに心にまでは介入しないような、単なる快楽だけを要求する表の裏に底冷えするような脆さが見え隠れする感じ
 別れは地を打つ稲妻で、踏みしめる、普段自分が生きる大地を揺らがせる。涙は生の証であり、悲しみの中の一縷の希望……、と書いていて、パラダイスの丸山さんの表情を思い出しました。不安絶望諦観投げやり、不自然に動く頬、あちこちと走る目、ぐちゃぐちゃが表出した表情を動だとしたら、ここでいうそれは静だけど、無じゃなくて、そこから現れ出た涙がうーーーん もうわからん
 とにかく全然違うものではあるんだけど、感情のベクトルでいうとちょっと似ているのではないかなとおもいました。

 

■「目的地の墓」

戸惑いを誤魔化して笑う 間違いを隠すように泣きじゃくる
自分自身に叱られた私たちは 目的地の墓を掘っていた

 あどけなさをまた感じるところですよね
 「墓」というのは

 目的地、行先を失い彷徨うことへの暗喩なのか、
 目的地を失った自身を供養するために黙々と墓を掘るイメージなのか、
 はたまた最後に肉体が向かうであろう墓に思いを馳せているのか、
 他者が生を失った先の収まる場所を淡々と掘るのか、

 解釈がいかようにもできて、とても好きです

 

■「夜が明ける」

変わった貝殻を拾って 耳に当てた細い指が青く透けた
橙の浜に打ち上げられた克鯨は
乾ききって黒くなっていた

甘い夢見たくて苦い薬探すから 美味しかった現在をまた壊してしまう
鉛筆を削って書けずに夜が明ける 酔って気づかないふり
酔って気づかないふりさ

 明確に生と死、自分と別の個体を見下ろす印象を受ける場面
 淡くとも血の通う指が生きることを感じる、甘いモノを求めるところも含め どうしようもないことしてうまくいかなくて、みたいなぐちゃぐちゃを、俯瞰してみて妙な悟りを覚えつつももう引き返せないような感じ? Twitterでもしょうもないネタ深追いして眠りそびれる夜はあるし、古典の単語カードを切っていて上手く切りそろえられなくて全て捨ててしまう朝はありませんか? どうしようもなくて非合理な人間の精神で、これまたとても好きなんだよなあ

 

丸山隆平さん、生

別れは稲妻だ 涙は光だ
悲しみの声を置き去りにして 呼吸を真空に奪っていくよ
心臓がとまる その瞬間を唄うのさ

涙は光だ
悲しみの声を置き去りにして 呼吸を真空に奪っていくよ

心臓がとまる そのときを
意識が切れる そのときを
存在が消える その瞬間を唄うのさ

 伸びやかな丸山隆平さんの歌声がとてもきれいな最後
 あたたかくて、輪郭がまろやかで、ファジーな境界に淡さと繊細さを感じる声が冷えて澄んだ空気に切なく響く 生きていること、死が途絶えさせること、そのあやうい尊さも 声とピアノが残す余韻が含んでいて、いまを、現状を歌っているのかなぁと
 もうこれ読み返したら自分でもあんま理解できないんだろうな、まあそのとき思ったことを書き連ねているだけにすぎないからいいか! 丸山さんの光や影を取り込んだときのひとみがとても好き、きっとこれは変わらないだろうし

 

■「ヒカリ」とは

 一通り曲を噛みしめ最後、タイトルの「ヒカリ」について改めて考えてみる。

 ヒカリ 暗い闇の中の、あるいは希望、絶望に差す一縷の、鬱陶しいほど眩しいもの、明るさを感じさせるもの、目が見えていること、とか
 もう全部そうじゃないかなっておもう、ヒカリ、何も受け入れないし退けないから(?)

 これは蛇足ですが、私はがむしゃら行進曲の「君たちが明日の光」というフレーズが無茶苦茶好きで、希しくも丸山隆平さん主演ドラマ主題歌なんですが。私は常々関ジャニ∞に希望を見出し続けていて、中でも丸山さんに光と同時に影を感じるから、ヒカリってめちゃくちゃぴったりだなあって思います 人間のめんどくさいとこ、悲しいとこ、つらいとこ、全部ないまぜのどうしようもないところをアイドルである丸山さんから見い出してしまっては、貴く、愛おしく思う

 

■おわりに

 「ヒカリ」への気持ち、言葉にしたくて!ずーっともやもやしているけど、絶対できないんだろうなとも思う 長文だらだら垂れてみたけど、結局俺じゃヒカリのことわかってあげられない。幸せになれよ……、とね、もう、情緒、めちゃくちゃ

 ちゃんとした考察は教養のある方々がやられているから一回ちょっとだけ拝見して見たら、この曲に狂わされている人がこの世に少なからずいるんだな~って思うと不思議な心地だった。一旦かき上げた今、漸くしっかり目を通すことができるネ

 言語化してえな~と思ったのは8月で、今これを書いてるが11月で、偶然にも丸山さんがヒカリのレコーディングを開始して11月に発売するまでと重なるんだけども。まあ上げたのは年も明けて1月ですが……。
 同じだけ三カ月があったにもかかわらず、私はといえばブログを開設だけ本文を放置し休日は生産性も何もないまま過ごし続けたなんて……、愚かだね、人間は……。まあ生産性のなさでいったらもうこんなの書き連ねてるの自体どない?って感じでうける
 おーい見てるか友人!! インスタでライブレポのテイだけ被せた長文ポエムを書くのに飽き足らず、はてブロ始めて延々ぐねぐねしてるよわたしゃ!!ガハハ!! ヒカリ! 聞いてきいてくれよな!! ……………。

 ライブで生で観ることができてしまった日にゃその場に崩れ落ちたまま社会生活を放棄してしまうから、なくて良かったなあって一生思ってる MVもソロ映像も苦しくなっちゃうので。嘘、何だかんだ見られたらイーーーッッッッってマスクの下でいきむし、涙は静かに垂れる気がする
 きくとどんな荒れた心も凪ぐし、どんなに浮かれポンチでもおセンチになる
重心を低く取ったメンタリティになるというか 色んな意味で低め安定、みたいな そんでぐちゃぐちゃを肯定したまま、「みじかい夢に溺れていたわ」をもう一度舌にのせてみる ひどく無益で、大好きだ

 ただ関ジャニ∞が好きな、いち私における
 丸山隆平さんの「ヒカリ」の話